かつて民窯(みんよう/庶民の生活道具を作る窯元)の一大産地として栄えた島根県江津(ごうつ)市で、「すり鉢」と「おろし器」を専門に作っている老舗の窯元。
石見焼(いわみやき)の伝統技術を生かし、使いやすくて美しい、食と暮らしを豊かにしてくれる道具を生み出している。
~ 目次 ~
使って便利、ながめて美しい、新たな暮らしの道具。
炒りたてのゴマをすり鉢に入れて、すりこ木でする。
プンと香ばしい香りが立ち上ったら、おひたしや酢の物にかけて、彩りと栄養を添える――
そんな日本の食卓になじみ深い道具・「すり鉢」が、伝統工芸を守り伝える窯元によって、美しくリファイン(洗練)されました。
その名は『すり鉢・おろし器専門窯元 もとしげ』
島根県西部で栄えた「石見焼」の伝統を受け継ぎ、モダンでお洒落で、どんなハイテク商品にも負けない機能を備えた新たな「暮らしの道具」を生み出しています。
「石見」と呼ばれるこの地では、キメが細かく陶器に最適な土が採れます。さらに耐熱性も高く、1300℃もの高温で焼き上げられた陶器は、まるで磁器のような硬さに仕上がります。
こうして生まれた「すり鉢」や「おろし器」は、最先端の工場製にも負けない機能を誇ります。
石見の土と職人の技から、極上の道具が生まれる。
『もとしげ』の「すり鉢」と「おろし器」は、酸やアルカリに強く、耐水性が高く、丈夫で壊れにくい、という逸品です。
これは「石見焼」の原料である「津野津(つのづ)層粘土」の特性で、そのため古くは水・味噌・塩・漬物など、さまざまなものを保存する「かめ」や「水がめ」の一大産地として栄えていました。
そんな伝統が今に活かされ、様々な食材をすりおろす「すり鉢」や「おろし器」が生まれたのです。
さらに内側(すりおろす面)の赤茶色は、これまた島根県産の「来待石(きまちいし)」製の釉薬を100%使っています。純国産の安心・安全な器なのです。
暮らしを豊かにしてくれる「すり鉢」と「おろし器」。
このように、伝統工芸の美しさと、誰にでも使いやすい機能をあわせ持った『もとしげ』の道具。その“ものづくり”へのこだわりは、実に繊細かつ真面目です。
●すり鉢
食材が外に飛び出さないように、深く切り立った形にしています。さらに食材が自然に真ん中に集まるので、まんべんなくすりおろせます。
使いやすさと機能性を追求してたどり着いたのが、このコロンとした可愛い形。底の滑り止めによって、手を添えなくてもグラグラしません。
●おろし器
目指したのは、“欠けた陶器の破片並の鋭さ”。独自の製法で段違いに鋭いおろし刃にしています。
この清潔で丈夫な刃が、それぞれしっかり食材をとらえます。さらに底のシリコンゴムの安定感で、わずかな力でもアッという間にすりおろせます。
陶器製で匂いや色が移りにくく、繊維も絡みにくいため、洗うのも簡単です。
伝統工芸の衰退を機に、「すり鉢」メーカーに転身。
『もとしげ』の母体は、大正14年創業の『元重製陶所』です。
かつては石見焼の窯元のひとつとして、水がめ・漬物用のかめ・すり鉢・園芸鉢などの生活陶器を作っていました。
それが「すり鉢」をメインに作り始めたのは、約35年前。令和 現在の生産量は年間約20万個にもなり、国内有数の「すり鉢」メーカーとして知られるようになりました。
ですが、その歴史には長きに渡る苦労がありました。
昭和初期に水道の普及で貯水用の水がめがすたれ、植木鉢や湯呑み、皿などを作り始めたものの、それらも先発の業者や産地に追いつくことはできませんでした。
そしてしばらく、苦難の時代が続いたそうです。
3代目で現社長の元重彰治さんが入社したときが、まさにどん底の時代だったといいます。苦境を打破するために、約35年前に「すり鉢」専門の窯元に転換。
石見焼の陶土が「すり鉢」に適していたことと、彰治さんの工業系エンジニアとしての経験を活かし、「すり鉢」専用の生産ラインを自ら設計して立ち上げました。
こうして低コストで「すり鉢」の生産を始め、全国に先駆けてシリコンゴムの滑り止めも開発。
どこにも負けない品質のすり鉢を、どこにも負けない低価格で提供して、当時、全国的に「すり鉢」が不足していたという時代的な背景も追い風となって、主にホームセンターを販路として全国に広まりました。
ですが、外国製の安い大量生産品が増えるにつれて、全国屈指の「すり鉢」メーカーとしての地位も揺らぎはじめてしまいました。
主な販路だったホームセンターでは、品質の違いや職人のこだわりはあまり気にされません。「安くて良いものを作っていれば売れる」という時代が終わり、さらなる転換を迫られることとなりました。
こうして4代目で現専務の元重慎市さんが入社する頃には、「すり鉢」は新たな過渡期を迎えていました。
昭和の時代は各家庭にいくつもの「すり鉢」があって、大きさも使い方もさまざまなものを取り揃えていました。
ですが、平成以降は「すり鉢」が家にないどころか、使い方も知らないのが普通に。そこで「『すり鉢』に代わる商品を開発しよう」、と新たな挑戦を始めました。
こうして生まれたのが、石見焼の特性と技術を生かした「おろし器」です。
大量生産品にはない“おろしやすさ”を持ち、「すり鉢」に代わる看板商品にできる、と見込んだのです。
ですが、ホームセンターで「すり鉢」が売れたようには「おろし器」は売れませんでした。
「使えば絶対に違いがわかる『おろし器』を作った、という自信はありました。そして実際に使っていただいた方々にもとても好評でした。ですが、実演販売があるわけでもないホームセンターでは、その良さを伝えるすべがなかったんです」 と慎市さん。
「『すり鉢』はかつてはどの家にもあって、誰でも使っていた道具です。それを安く高品質に作れば、みんなに買ってもらえました。でも『おろし器』は、金属製・プラスチック製・工業用セラミック製など、種類や競合商品がたくさんあったんです。さらにCМや広告もたくさん打たれていたので、私たちのような小さな企業が商品の良さを伝えるのはとても困難でした」
そう慎市さんが振り返るように、メインの「すり鉢」の売上もどんどん減っていき、満を持して売り出した「おろし器」もまったく売れませんでした。
「まさに八方ふさがりで、とても深刻な状況に陥ってしまいました」
と慎市さんは語ります。
そんな苦難を越えて、ようやく思いついたのは“販路の変更”という発想の転換でした。
「“ものづくり”に絶対の自信はありましたが、ホームセンターではその技術やこだわりを見てもらえません。そこで、百貨店や専門店などのこだわり商品を求めているお店とお客さんに、ターゲットを絞ってPRすることにしたんです」
商品の背景とストーリー、それらにこめた“ものづくり”へのこだわり――それらを新たにブランディングして、『すり鉢おろし器 専門窯元 もとしげ』というブランドを生み出したのです。
”手仕事の良さ”に回帰して、もともとあったそれらを新たな価値観として提案。
「ブランド化を思いついてから、実行するまではとても早かったです。それまで4年は悩みぬいて、新しいことにチャレンジしては失敗してやり直す、という繰り返しでした。でも、2017年の10月にこのアイデアを思いついてから、歴史やこだわりをストーリーにまとめあげて、新ブランドの『すり鉢』と『おろし器』を開発するまでは、わずか4ヶ月。2018年の2月に展示会に出して、そこで新たなお客さんをたくさん獲得できたんです」
こうして苦境を抜け出した元重製陶所あらため『すり鉢・おろし器 専門窯元 もとしげ』でしたが、当初は社長かつ父親の彰治さんと、まったく意見が合わなかったそうです。
それは彰治さんが一から開拓したホームセンターの販路を、まっこうから否定する形になってしまったため。
「とにかく猛反対されて、いっさい協力もしてもらえなくて、商品開発から新たな販路開拓までを、すべて一人で行いました」
と慎市さんは振り返ります。
「幸い、展示会に間に合わせるために急ごしらえで造った試作品が、予想以上のご注文をいただけました。しかし、それでもまだ協力を得られず、最初の頃は毎晩日付が変わるまで私だけで作っていました。最近、売り上げが順調に増えてきたので、ようやく父の理解が得られたように思えます」
新たなアイデアには反発や試練がつきもの。でも見事ブランド化に成功した今は、確かな手ごたえを感じているそうです。
石見焼の「すり鉢」と「おろし器」を世界中に広めたい。
「今後は海外にも売り出していきたいですね。『もとしげ』の『おろし器』と『すり鉢』は、どんなハイテクな製品にも負けないと思っています」
慎市さんが語るように、職人による伝統工芸は、科学的に分析してもハイテク製品に勝る面があります。
「アメリカやヨーロッパからも少しずつご注文が来ています。日本の『すり鉢』と『おろし器』の文化をもっと広めて、『もとしげ』のそれがある暮らしを世界のスタンダードにしていきたい。今後も使いやすさと品質の良さをモットーに、お客様のご愛顧にお応えすべく“ものづくり”に取り組んでいきます」
古き良き和の道具を、モダンな暮らしのスタンダードに――大きな夢を掲げながら、『もとしげ』の挑戦は続いていきます。
- DATA
すり鉢・おろし器専門窯元 もとしげ
(株式会社 元重製陶所)
HP:http://motoshige.suribachi.jp/
住所:島根県江津市嘉久志町イ1762
電話:0855-52-2927
営業時間:9:00~17:00
休日:土・日・祝日
取材協力・
写真提供:
株式会社 元重製陶所/無断転載禁止
ライター:風間梢(プロフィールはこちら)