奥出雲の山あいで、その風土と自然に委ねながら待つ「古式製法」を守り続けている井上醤油店。
国産丸大豆・国産小麦・天然塩だけで醸される昔ながらの醤油は、全国の高級料亭や食通などに熱く支持されている。味噌や‟お米の西の横綱”と呼ばれる仁多米(にたまい)の煎餅なども作っており、これらもグルメに定評がある。
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歴史に育まれた「古式製法」を受け継ぐ、名だたる料理人たちが支持する井上醤油
和食の基本であり、真髄とも言える「醤油」。
そのままつけても調味料として使っても、深く芳醇なコクを与えてくれます。
そんな和食に欠かせない調味料を、江戸時代末期から変わらない製法で醸し続けている醤油店があります。
奥出雲に蔵を構える『井上醤油店』。
1867(慶応3)年の創業以来、独自に編み出した「古式製法」を守り続け、国産丸大豆・小麦・塩だけを原料に、合成添加物は一切不使用で醤油を醸しています。
近年は生産効率を優先して、短期間で人工的に醸造する「近代醸造」が主流ですが、「古式製法」は自然と四季にゆだね、じっくり時にまかせる醸造法。井上醤油店では今も変わらぬ昔ながらの味を守り続けています。
”命あるもの”をお届けしたいから、長い時間をかけてゆっくりと育む。
醤油の製法には、大きく分けて「近代醸造」と「本醸造」があります。
このうち「近代醸造」は、大量生産・大量消費の現代社会のために考案された、お手軽かつコスト安な製法。
うち1つは、醤油の大元となる「醤油もろみ(大豆と小麦を麹菌で発酵させた「醤油麹(こうじ)」に、塩と水を加えたもの)」に、化学的に合成した旨味成分(アミノ酸液など)を加え、短期間で熟成させる「混合醸造方式」です。
そして2つ目は、生揚醤油(きあげしょうゆ/もろみを絞った原液)に、やはり化学的な旨味成分を混ぜ合わせる「混合方式」です。
対して古式ゆかしい「本醸造」は、「醤油もろみ」を長期間じっくり発酵させて、麹や酵母・乳酸菌などの力だけで、自然にゆっくり熟成させます。
中でも以下のルールを守っている醤油だけが、「天然醸造」という特別な表示をすることを許されています。
1.酵素を添加せずに醤油麹だけで醸している
2.化学合成した食品添加物を使っていない
そして『井上醤油店』の「古式製法」は、もちろんこの「天然醸造」!
さらに国産の丸大豆と小麦をじっくりと発酵させ、四季を経て、奥出雲の風土の助けを得ながら特有の味わいに醸し上げていることから、独自の「古式製法」と名付けました。
その「古式製法」をかたくなに守って、醤油業界に名高い逸品を醸しているのです。
「古式醸造」で醸す、井上醤油店の極上の醤油と調味料
こうして『井上醤油店』は、創業以来 百四十有余年、奥出雲の山あいで自然の力にゆだねながら、醤油や味噌を醸してきました。
そんな頑固な職人魂の結晶が、以下の品々。いずれもプロの料理人や名だたる食通たちに支持されている、料理界に名高い逸品です。
●井上古式じょうゆ
「井上古式じょうゆ」は定番の濃口醤油で、まろやかかつサッパリとした旨味が好評です。
一般的な濃口醤油は大豆と小麦を半々に混ぜあわせますが、『井上醤油店』の「古式じょうゆ」は大豆の量がおよそ二割増し!
そのため旨味成分の天然アミノ酸が豊富で、豊かなコクと風味が感じられます。また、煮物などは少量のダシでも十分美味しく仕上がります。
原料は島根県産を中心とした国産のみ。毎日使う調味料だからこそ、人へのやさしさにこだわっています。
●出雲むらさき
「出雲むらさき」は通常の濃口醤油の2倍の成分を含む、粘り・甘味が際立つ濃口醤油です。
それでいて深みのある味わいが勝り、余分な塩味を感じさせないため、お刺身や豆腐などに最適。有名ホテルのステーキソースのベース等にも使われていて、和洋を問わずさまざまな料理に使えます。
その秘密は江戸時代から中国地方に伝わる「再仕込み」の伝統を守り、通常の濃口醤油の工程を二度繰り返しているから。この長い醸造期間によって、どんな料理にも使える懐の深さと、豊潤な味わいを生み出しています。
●井上こはく
「井上こはく」は丸大豆醤油と甘酒で口当たり良く仕込んだ、薄口しょうゆの代わりに使える調味料です。醤油もろみにたっぷりの甘酒を追い仕込みしているため、上品で爽やかな甘みと旨味が感じられます。
そのため煮しめ・茶碗蒸し・おすましなどに最適で、食材の味を生かしつつ複雑かつ豊かな味わいを生み出してくれます。
「古式製法」でなければこの味は出せない。比べてみれば違いがわかる。
『井上醤油店』が「古式製法」にこだわるのは、この食のプロたちにも絶賛される味が、「古式製法」でしか出せないからです。
「まずは伝統を守るという点を第一に考えていましたが、様々な醸造法と比べてみたところ、江戸時代から受け継いだこの『古式製法』が、とても優れていることが分かったんです」
と、井上醤油店の社長・井上裕義さんは語ります。
「例えば現在主流の『近代醸造』と比べますと、アミノ酸や有機酸などの旨味成分や、香りの成分などが非常に多いんです。『古式製法』は蔵や醤油樽に住み着いた酵母=微生物が、小麦や大豆の旨味成分であるタンパク質を分解して醤油にしますが、『近代醸造』のように人工的な熱や酵母を加えずに、自然にまかせて発酵させる。すると気温差が激しくて微生物層の幅が豊かな奥出雲の風土もあって、アミノ酸の種類が非常に多くなるんです。そして分子も小さくなるので、それが味のまろやかさや複雑さになって、美味しいお醤油ができます」
実は奥出雲は、新潟県にも匹敵する豪雪地帯。豊かな水と緑に恵まれて、夏と冬、昼と夜の気温差が激しいのです。
そして冬はメートル級の雪が積もり、夏は長い梅雨の慈雨に恵まれる。その水と緑に恵まれた多様性に満ちた風土が、美味しい醤油を醸すのです。
自然のリズムを感じられる、自然の摂理にそった調味料。
「調味料はただ味を付けるものと思われがちですが、漢字では『味を調べる=調和させる』と書きます。すなわち料理の素材と音楽のように響きあい、引き立てていくことが役目なのです。
さらに調味料は素材の背景でもあり、それ自体が主張しすぎたら、不協和音を生んでしまいます。多彩な食材を調和させるのが本領ですので、そんな和の心とも言える‟味のリズム”を感じて頂きたいですね」
現代はレシピを見て調味料の分量を計る人がほとんどですが、昔は自らの目と舌で調整していました。その感覚に従った「目分量」が、素材の味をもっとも引き立ててくれる分量だったのです。
「そういった感覚が、食べ物の生命力をより引き出して、命に優しい自然な美味しさとなっていたんです。お料理に慣れてきたら、ぜひこのように、ご自身の舌と体に良い『目分量』を試してみてください」
と井上さんは語ります。
こうした人の感覚や自然の力は、『井上醤油店』が守り続けている「古式製法」にも通じます。
工業的な『近代醸造』は、発酵の温度を調節したり、人工の酵母を加えたりして、発酵にかかる時間を短縮しています。
「ですが一見便利なこの方法が、醤油の味や栄養になんらかの欠落を起こしてしまったようです」
と井上さんは憂いています。
『井上醤油店』の醤油が豊富な旨味成分と豊かな味わいを誇っているのは、こうした「近道」を頑なに拒んできたから。「近代醸造」の醤油は旨味成分の種類が少ないなど、科学的にも差があるそうです。
「古来から受け継いできた酵母や微生物に、大豆や小麦を食べさせて作る天然のアミノ酸。それとタンパク質を塩酸で分解して作る『近代醸造』の人工的なアミノ酸は、やはり同じものとは思えないのです。これらの質・量・バランスの違いに、科学の力が及ばない自然の神秘を感じます」
自然と先祖に敬意をはらって、歴史の遺産である「古式製法」を守る井上さん。あくまで地道に、そして正直に。今日も奥出雲で極上の醤油を醸しています。
●有限会社・井上醤油店の住所・営業時間
HP:http://inoue-shoyu.jp/
住所:島根県仁多郡奥出雲町下阿井1430-2
電話:0854-56-0390
営業時間:9:00~18:00
休日:土日祝ほか
取材協力・
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有限会社 井上醤油店/無断転載禁止
ライター:風間梢(プロフィールはこちら)