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料理で紡ぐ日々の記憶

2024年9月3日

料理家、谷尻直子さんの特別寄稿コラムがスタート!

皆さんこんにちは!
渋谷区代々木上原の方で週一回だけオープンする予約制レストラン「HITOTEMA」を運営して10年目となります、料理家の谷尻直子です。今月から毎月2回ほどコラムの形式で、皆さんにいろいろなことをお伝えしていこうと思います。よろしくお願いします。

台所が遊び場だった小学生

私は1976年に東京で生まれました。未熟児で生まれたこともあってか、非常に病弱な子供時代を過ごしました。

現在、48歳となり多動症かと自分でも疑うほどいろいろなところに出かけて、冬は趣味がスノーボード、春と秋はテニス、夏はシュノーケリングやスキンダイビングとアクティブな生活を送っています。今では全く想像がつかない幼少期で、外に遊びに行くと具合が悪くなってしまって、途中で帰ってくる、遊ぶ約束をしていても具合が悪くなってしまってドタキャンをしなくてはならない。

そんなことの繰り返しで、自分で自分が嫌になっていました。

約束をしても断らなくてはならないと、申し訳ないと言う気持ちが生まれますよね?それが自分の心に重くのしかかり、いつしか人と約束もあまりしなくなっていました。

自宅で過ごすのを好むようなりました。
でも、ただ自宅にいても寂しいので、誰か人がいるところで過ごしたい。そうするとそれは必然的に母がいる「台所」でした。

私はいつも台所にいて、台所で遊べるものをいつも探していました。見つけたのは小麦粉やお砂糖、卵などの普段からパントリーにあるようなものでした。私の実家は「一般的な昭和の家庭」なので、パントリーなんて言う言葉は全く似つかわしくないプラスチックの製品がたくさんあるような家でした。縁側があったり、畳敷きだったり、襖や障子で間仕切られていたりなど今では少し想像しがたいかもしれない風景の家でした。

話はそれましたが、そんな幼少期の体の弱さ、遊び道具としてのキッチン食材、そこから私は「自分が嫌いな自分」に決別したくて仕方がなく、「普通の人になりたい」と、いつも思ってきました。

小さい頃の目標

普通の人と言うのは「体を壊さない人」。外に出かけても、すぐもどしてしまうような体ではない人間に憧れていました。

小学校からいつも常備されている食材を使って菓子を作るのを趣味にしはじめ、その後お菓子ではなく、普通の食事を作るのが楽しくなりました。父と母、そしてが私を含めて4人のきょうだい、祖父祖母と言う8人が1つ屋根の下で暮らす生活を、20代まで行ってきましたので幼少期に多様性や団体行動、「人と合わせなくてはならない」と言うような環境を、体験してたともいえます。

きょうだいが4人だと、通学路で出会った捨てられている猫ちゃんなどを拾ってきてしまうものですから、いつしか猫も4匹に増え、8人と4匹で暮らしていました。

食の多様性を体験した20代までの成長期

板金工業を自営で営む父と祖父でしたので、母は家業の手伝いと3度の食事を担っていました。私たち育ち盛りの小学生の子供たちには焼き魚などウケが悪いので、カレーや唐揚げ、シチューなどを作り、祖父祖母には大根おろしや切り干し大根の煮浸し、焼き魚を作る。

父は板金屋さんで、仕事着をきて汗水たらして働く日々ですので、仕事を終えて仕事着を脱いだ後の1杯のビールが至福の時間。それに合わせて旬の魚のお刺身や枝豆、きぬかつぎなどお酒のおつまみになるようなものを母はこしらえていました。

子供だけだったら、一品完結型だったかもしれませんが、父への思いやりから、お酒を「ゆっくり」楽しめる食を毎日見つめる幼少期でした。8人が1つ屋根の下で暮らすとなると、3世代の「食」が毎日繰り広げられるということです。

21歳でロンドンに留学するのを決めるまで「すね」をかじっておりましたのでw、かなり長い間そんな生活を続けていたことになります。大家族でしたので、趣味が料理となった私にとっては、作ったものを無駄にすることなく、食べ手がたくさんいた状況で、win-winの環境が整っていたとも言えます。

この時期に、70代の好む食、お酒をたしなむ人が好む食、そして子供たちが好む食を知りました。今となっては買いたくても買えるような経験ではなく、とてもありがたい幼少期だったとそう思っています。当時は4人でわちゃわちゃとしてうるさく、一人っ子の家庭と逆で1人の時間を心から欲するような生活でした。

ファッションの道へ

長くなりましたが、そんな幼少期を経て、ファッションに興味を持ち、セレクトショップの販売員からファッションのスタイリストへ転向し、ファッションのスタイリストを6年ほど行った後、ビジネスのパートナーであるデザイナーと2人で組んでブランドを立ち上げ、9年続けます。9年目、30代になった私は、ファッションと言う世界に、「このまま新しいもの新しいものを求め続ける生活が果たしてやりがいとサスティナビリティをもたらすのだろうか」という疑問が頭をもたげ、ブランドから私のみ離れる形で食の世界へ飛び込みました。

ファッションの世界では、とても有名なメゾンドブランドの高級な服と、やはり同じくとても有名なメゾンドブランドのシューズを合わせることもありましたが、逆にあえてドレスにスニーカーなどと言う「ハズし」と呼ばれるようなコーディネートもよく行っていました。

現在で言うのならば、通常はブラックペッパーがスタンダードなところ、和山椒にするとか、とうもろこしと言えば、スープやおかずなのにデザートにするとか、そういう提案を楽しいと感じるのはファッションの業界の頃、評価してもらった時の癖なのかもしれません。

何を大切にしているか

epoさんとの取り組みに関しての共通項としては、外側からのケアと内側からのケアその2つを大切にしているところ。

私自身もそのどちらもを出来るだけ意識して生活していることもあり、私の知恵や工夫をシェアしてほしいとのリクエストをいただき、今回スタートすることになったわけです。私も半世紀ほど、生きてきたので、そういうことも、実体験を反映させながら、お伝えできるかもと思い、引き受けることにしました。基本的にマクロビオティックやローフード、アーユルベーダや薬膳すべてに共通するのは、

「旬の食べ物を食べなさい」

と言うことです。旬の食べ物がなんなのか知り、それを日ごろの食卓に生かすことと、消化のメカニズムを知って体に摂取した食べ物が肌や爪髪の毛や内臓の素材になっていくのを促すような内容をお届けしていきたいと思います。

HITOTEMAのコンセプトと、食と人間の共通点

現在のお店の名前は、HITOTEMAといいます。
コンセプトは一手間かけなさい。ではなく、一手間だけかけましょう。と言う意味です。食べ物に関しても人間に関しても、私は同じ思いを抱いております。それはお食事も「厚化粧」をする必要は無いのではないかと言うところです。

週一回のみオープンする予約制レストラン「HITOTEMA」

人の輝きと言うのは、個性が引き出されたときに生まれるもので、個性を隠したりしたときに生まれるものではないと思うからです。

もちろん、元の顔がわからなくなるほどに厚塗りせず、気になるシミやクマを目立たなくする行為も「有り!」だと思います。でも、元の顔がどうだったかわからなくなるほどに塗りたくってしまっては、勿体無いと思うのです。

お魚だって軽く塩をして10分置いておき、キッチンペーパーで拭き取ることで、匂いが気にならなくなりますよね。そしてその魚の良さを強調すべく調理してあげれば、シンプルでも美味しくなるものです。決して何の魚だったのかわからなくなるほどに他の素材で覆い隠したり調味料の味になってしまうような作業はしなくていいはずなんですよね。

いつも、人間も同じだなと考えています。
そんなわけで、食の仕事をするようになってからも、体の健康を常に求めて、発酵や薬膳、菜食や低糖質、アーユルベーダや分子栄養学などのさまざまな観点から、「おいしいな」と「良い体感があるな」という交差点にあるものを提案していきます。

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次回は、「水キムチ」の簡単レシピからお届けします。

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